こんにちは、おんちゃんです。
くず屋とは、江戸時代あたりから実際にあった職業で、もともとはチリ紙交換のようなものだったそうです。
人々から紙くずを買い集めて、紙を再生させる業者へ売るという仕事です。
それがだんだんと、屑鉄や古着、古道具なども扱うようになっていったそうです。
江戸の町には、それぞれの分野のエキスパートがいて、修理や再生をして、大事に物を使っていたそうです。
つまり江戸の町は、廃品回収とリサイクル業が、とても進んでいたという事らしいのです。
さて今回は、ある「くず屋さん」が騒動に巻き込まれてしまったお話です。
少々長くなりますが、どうぞお付き合いを。
江戸時代でございます。
麻布の茗荷谷というところに「はや兵衛」というくず屋がおりました。
この人は、まがったことが大嫌い。
人呼んで「正直はや兵衛」なんて、ちょっとした有名人でした。
さぁ、今日もお仕事です。
「くずーーーーーーぃ」
「すみません、ちょっと、くず屋さん」
「へい!!」
声をかけたのは、つぎはぎだらけの着物を着た、年頃の女性。
そういって入って行ったのは、裏長屋。
「父上、くず屋さんを呼んでまいりました。」
『おぉそうか、これはこれはくず屋さん、くずがたまったので持っていってもらいたいと思ってな。』
「さようですか、それはそれは、」
中にいたのは、その父親で、樋口朴斎(ひぐち・ぼくさい)と名乗る浪人。
『それと、くず屋さん・・・もう一つたのみがあって』
「あっしね、恥ずかしながら、くず屋やってますけどね、目が利かないので値踏みができないんですよ。」
はや兵衛さんは断ったのですが、どうしてもとたのまれてしまい、困ってしまいました。
この樋口朴斎、うらぶれてはおりますが、もともと然るべきところに仕官するお侍でありました。
しかし、ちょっとしたことに意地をはってしまい、今の生活になってしまったとのこと。
その朴斎が、どうしてもと頭を下げるので、はや兵衛さんもとうとう押しきられてしまいました。
ならばという事で、はや兵衛さん、こういう提案をしました。
- この仏像は、いったん二百文で預かります。
- 仏像が売れて儲けが出たら、その分の半分は手間賃でいただきます。
- 残りの半分は、こちらにお届けに上がります。
朴斎は、『儲けは全て、くず屋さんの物にしておくれ』と言いはったのですが、
「あっしはね、曲がったことが大嫌いなんです。自分だけ得しようなんて、そんな事まっぴらごめんです。」
はや兵衛さん、無理やり話を終わらせて、二百八文を置くと、逃げるように長屋を出ました。
つづく。
続きのお話
――あとがき
久しぶりに、落語シリーズ描いてみました。
今回は、ちょっと長くなりますが、飽きの来ないように頑張りますので、どうぞ最後までお付き合いください。