「くず屋の災難(其の壱)」の巻


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こんにちは、おんちゃんです。

くず屋とは、江戸時代あたりから実際にあった職業で、もともとはチリ紙交換のようなものだったそうです。

人々から紙くずを買い集めて、紙を再生させる業者へ売るという仕事です。

それがだんだんと、屑鉄や古着、古道具なども扱うようになっていったそうです。

江戸の町には、それぞれの分野のエキスパートがいて、修理や再生をして、大事に物を使っていたそうです。

つまり江戸の町は、廃品回収とリサイクル業が、とても進んでいたという事らしいのです。

さて今回は、ある「くず屋さん」が騒動に巻き込まれてしまったお話です。

少々長くなりますが、どうぞお付き合いを。

江戸時代でございます。

麻布の茗荷谷というところに「はや兵衛」というくず屋がおりました。

この人は、まがったことが大嫌い。

人呼んで「正直はや兵衛」なんて、ちょっとした有名人でした。

さぁ、今日もお仕事です。

「くずーーーーーーぃ」

「すみません、ちょっと、くず屋さん」

「へい!!」

声をかけたのは、つぎはぎだらけの着物を着た、年頃の女性。

そういって入って行ったのは、裏長屋。

「父上、くず屋さんを呼んでまいりました。」

『おぉそうか、これはこれはくず屋さん、くずがたまったので持っていってもらいたいと思ってな。』

「さようですか、それはそれは、」

中にいたのは、その父親で、樋口朴斎(ひぐち・ぼくさい)と名乗る浪人。

『それと、くず屋さん・・・もう一つたのみがあって』

「あっしね、恥ずかしながら、くず屋やってますけどね、目が利かないので値踏みができないんですよ。」

はや兵衛さんは断ったのですが、どうしてもとたのまれてしまい、困ってしまいました。

この樋口朴斎、うらぶれてはおりますが、もともと然るべきところに仕官するお侍でありました。

しかし、ちょっとしたことに意地をはってしまい、今の生活になってしまったとのこと。

その朴斎が、どうしてもと頭を下げるので、はや兵衛さんもとうとう押しきられてしまいました。

ならばという事で、はや兵衛さん、こういう提案をしました。

  1. この仏像は、いったん二百文で預かります。
  2. 仏像が売れて儲けが出たら、その分の半分は手間賃でいただきます。
  3. 残りの半分は、こちらにお届けに上がります。

朴斎は、『儲けは全て、くず屋さんの物にしておくれ』と言いはったのですが、

「あっしはね、曲がったことが大嫌いなんです。自分だけ得しようなんて、そんな事まっぴらごめんです。」

はや兵衛さん、無理やり話を終わらせて、二百八文を置くと、逃げるように長屋を出ました。

つづく。

続きのお話

「くず屋の災難(其の弐)」の巻

「くず屋の災難(其の参)」の巻

「くず屋の災難(其の四)」の巻

「くず屋の災難(其の伍)」の巻


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――あとがき

久しぶりに、落語シリーズ描いてみました。

今回は、ちょっと長くなりますが、飽きの来ないように頑張りますので、どうぞ最後までお付き合いください。


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