「津軽石川の南部鼻曲り鮭」の巻


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こんにちは、おんちゃんです。

( 前回の話:「宮古の風物詩」の巻

前回、南部鼻曲り鮭の話だったので、さらに調子にのって、宮古と南部鼻曲り鮭のことを、もっと書いてみようと思う。

宮古市に、津軽石(つがるいし)という地域があり、そこに「津軽石川」という川がある。

うろ覚えなのだが、この川は私が小学生の時、北海道をおさえて「鮭の遡上日本一」になったことがある。(と思った・・・)

なぜこんなに、鮭がのぼってくるようになったのか?

実は、こんな伝説がある。

ちょうど日が暮れてしまい、このお坊さんは一晩の宿をさがした。

すると、

翌朝お坊さんは、お礼に「石」をわたして、また旅立っていった。

この村人は、言われた通りに、石を川に投げ入れた。

すると、いいことがおこった。

また、津軽石川にはこういう伝説もある。

昔、この村には飢饉が数年続いた時があり、村人は飢えに苦しんでいた。

津軽石川には鮭がのぼってきたが、藩のものなので村人はとられなかった。

そこで、後藤又兵衛という人物(後藤基次とは別人)が、鮭の遡上を止めている柵を壊し、村人たちに鮭をとらせた。

村人たちは飢えをしのげたが、又兵衛は「逆さ磔の刑」に処され死んでしまった。

又兵衛に救われた村人たちは、又兵衛を津軽石川の守り神として奉ったという。

現在でも、鮭漁がおこなわれている時期は、津軽石川の川原に、逆さ磔にされた又兵衛を模したわら人形がかかげられる。

毎年お正月には、川原で「鮭祭り」が開かれ、「鮭のつかみ取り」で盛り上がる。

簡易テントの食堂で食べれる「はらこそば」も、とんでもなくうまいのだ。

私の実家も津軽石川の近くにあり、定期的に「鮭」や「はらこ」の配給があった。

鮭が路上に並べられると、番号札をつけて、くじ引きがはじまる。

くじで当たった鮭が、「大きい」だの「小さい」だの、子どもたちは大はしゃぎなのだ。

宮古湾でとれた鮭は、脂がのっていてとてもおいしく、津軽石川でとれた鮭は、いいぐあいに脂が抜けて、干せば干すほどうまさが増してくる。

とにかく、宮古の鮭は絶品なのだ。

これからも頼むよ、宮古漁協!!

どんどはら・・・なぬー!!

なんと、大変なことがおこってしまった!!

つづく。


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――あとがき

宮古の冬の味、新巻き鮭。

今日も、焼いて食べようとしたところ、事件が起きてしまいました。


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