こんにちは、おんちゃんです。
転職のため、ヒゲをそった。
(参照 「ひげよ、さらば」の巻)
ちなみに、この風貌について、ブログの2話目で「プロレスラーへの憧れ」と書いている。
(参照 家族の紹介)
せっかくなので、「スキンヘッド」と「泥棒ヒゲ」について、私の思いを少し詳しく書かせていただきたいと思う。
今回は、まったく犬が関係しない、ただの思い出話である。
お気付きの方もいると思うが、私は大のプロレスファンである。
小学校3年生のころ、ミル・マスカラスやザ・ファンクスを見て、とりこになった。
それ以来、30数年間、変わらない情熱をもってプロレスのファンを続けている。
すると、すぐに大きな出来事がおきた。
私の住む町である「宮古市」に、プロレスがくることになったのだ。
その団体は、「国際プロレス」。
駄菓子屋にポスターが貼られ、宣伝カーが田んぼの中を走った。
当時、国際プロレスはテレビ中継が無く、私が知っているのは「ラッシャー木村」くらいしかいなかった。
(今になって思えば、「アニマル浜口」や「サムソン冬木」、「マイティ井上」などなど、凄い人たちが、たくさんそろっていたのだが・・・。)
それでも、宣伝カーを見るたびに、トキメキが止まらなかった。
店の前で、ポスターを穴が開くほど見つめた。
試合当日、宮古の裁判所跡地の大きな空き地にリングが設置され、紅白幕でかこまれた。
後ろの方の席だったが、もっと後ろには、立ち見のお客さんもギッチリはいっていた。
近くの小高い山の上から、無料で見ようとしている人もいた。
試合は、ほとんどおぼえていないが、メインイベントだけ鮮明に記憶に残っている。
「鶴見五郎」VS「でかい外人選手」の、金網デスマッチだった。
試合が白熱してきたら、突然リングサイドのばあちゃんが声を出した。
外人選手の手から大きな炎が上がった。
おそらく、ライターのようなものを持っていて、ばあちゃんから見えたのだろう。
せっかく、ばあちゃんが教えてあげたのだが、宮古弁は口調がゆっくりなので間に合わなかったようだ。
この火炎攻撃で、でかい外人選手がKO勝ちした。
圧倒的な強さと悪さだった。
小学3年生の私は、この「でかい外人選手」が、お客さんのヤジに怒って暴れだしたらどうしよう、と本気で心配になり、お父やんとお兄やんに「早く帰らないと危ないよ!!」と必死に訴えたのだった。
名前もおぼえていないが、この「でかくて強くて悪い外人選手」が強烈に印象に残った。
この日以来、私のなかでは、「スキンヘッド」に「泥棒ヒゲ」というのが、特別なものになった。
つづく。
――あとがき
本当に、すみません。
どうしても書きたいことだったので、もうちょっとだけお付き合いください。